奈良時代の洗濯休暇

洗濯休暇のイメージ

洗濯しないと仕事にならない・・・って昔の人も考えていたみたいです

8世紀に書かれたと推察される「待遇改善要求草稿案」には、写経生が身につける浄衣について新しいものに変えるよう要求がされている記録があるそうです。
そうした事情が無事考慮されたからなのか、その時代に書かれたとされる「正倉院文書」には、洗濯休暇なるものが活用されていた記録があります。

『衛生』という概念は、昔から、心の部分にも当てはまっていたのだなと感じられる記録ではないでしょうか。

奈良時代の公務員「写経生」の切実な訴えで採用されていた”洗濯休暇”

奈良時代には、国営の写経所(=役所)で下級官人たちが写経生として仕事をしていたそうです。
写経は仏事に関わることですから、体も心も清めて取り組まなければいけなかったようで、写経生の皆さんは、毎日沐浴をして、身につける仕事着にも浄衣(じょうえ)が支給されていたのだとか。

勤務は宿泊。休暇をもらわないと家には帰れません。写経所には雇女と呼ばれる洗濯担当の方がいたようですが、間に合わなかったのか、「衣が臭くてたまらない」「洗濯するために休暇をください」という訴えが提出されていたとのことです。

奈良時代の事務書類「正倉院文書」

「正倉院文書」という膨大な量の史料が残っているそうです。
これは、奈良時代の役所の1つ、国営の写経所である東大寺写経所が残した事務書類とのことで、当時の役所に勤めていた方々が書いた書類について訂正や書き間違いもそのまま残っている、人間味あふれる文書群のようです。

この「正倉院文書」の中で、洗濯休暇の記録が見つかっています。

写経生からの切実な訴えが記録された「待遇改善要求草稿案」

仏事である写経に務める写経生とはいえ、生身の人間です。正倉院文書には、待遇改善要求草稿案として写経生からの切実な待遇改善案が残されているようです。
内容は、「終日座って緊張の中で写経をし、胸も痛くなり脚も痺れる、それを癒すための薬分としての酒を、せめて三日に一度は支給してほしい(引用元(2))」とか「毎月五日間の休暇(引用元(2)※本当は5日間まとめて休暇が欲しかったけれど却下されるのを恐れて連続5日間という表現は避けたと見られるのだとか」など、なんとも親しみの湧く内容が多くあることが窺えます。

そうした待遇改善要求の1つに洗濯休暇があったようで、
「昨年二月に(浄衣が)給付されたが、壊れたり赤がついたりして、洗っても臭くてたまらないから、新しいものに換えてほしい(引用(1)」
との要求があったとされています。

洗濯休暇が採用された記録

洗濯を理由にした休暇願いは12通確認されているようです。

そのうち半数の6件は仕事の切れ目で請求された休暇願い。1つの写経にどれだけの期間がかかるのかは状況次第でしょうが、宿泊勤務で行うわけでもありますし、もちろん、休暇は仕事の切れ目に請求した方がスムーズでしょう。実際、仕事の切れ目で休暇を取得することは規定によって認められていたそうです。

ですからすごいのは、残りの6件の方ではないでしょうか。
仕事の切れ目でもないのに、”衣を洗いたい”という理由で休暇を請求して、しかも許可されていたそうです。

洗濯休暇について考えると

洗濯休暇は、写経生の「衣が臭くてたまらないから洗濯のために休ませてください」という側面と共に、仏事である写経という行為に汚れた衣を使用するわけにはいかない、という役所としての側面が合意して成立した制度です。

当時は仏事に清浄性を担保しなければいけないという大前提から洗濯休暇が認められましたが、現代でも洗濯休暇が認められる余地はあるのでしょうか・・・?

参照:(1)「<洗う>文化史」国立歴史民族博物館・花王株式会社、(2)「正倉院文書の休暇願にみる実務官人の言語生活」桑原祐子